2022年。山崎智也、引退。たくさんの夢をありがとう。
2022年12月05日 公開

私が山崎智也という選手を知ったのは、2007年のことでした。その頃の私はボートレースを知り始めたばかりで、どんな選手がいるのかも分かっていませんでした。つまり、初めて知ったボートレーサーが智也さんだったのです。
2007年10月に行われた丸亀GⅢの最終日、私は現地に観戦に行っていました。優勝戦も終わり、帰ろうとしていたところ、ファンが集まっている様子があったので近づいてみると、そこには智也さんがいました(上の写真)。そのとき、智也さんは『艇界の貴公子』と呼ばれ、女性にとても人気がある、ということを周りの人に教えてもらいました。でも失礼ながら、目がぎょろっとしていて、私のタイプではなかったので、「ふう~ん」としか思っていませんでした。写真を撮っといた方がいい、とも言われたので撮っただけで、私は智也さんの凄さをまだ理解してはいませんでした。
2022年4月13日、智也さんは電撃引退しました。智也さんの凄さはどういうところにあったのか、一言で言い表されることではないことは十分わかっています。智也さんのことを熱く語れるのは、デビューから見てきているオールドファンの方たちです。智也さんに魅せられたオールドファンの男性がとても多かったのは、2007年の出待ちのときにすでに感じていました。まさか、少し先輩で若い時から大きな舞台で戦ってきた松井繁選手や服部幸男選手よりも早く引退するなんて、その場にいた人たちはみな、想像していなかったと思います。
引退のきっかけは、2016年SGグランドチャンピオン@蒲郡で、「SGに優勝したのに楽しくもないし嬉しくもない」という気持ちに気付いてしまったから。そして、2015年のグランプリ2回目の優勝でのやり切った感が引退理由の全てだと語っていましたが、智也さん的に言えば、コンプリートしたゲームはもう飽きてつまらなくなったということでしょうか。その気持ちは少しずつ成績に表れていきました。最後の2021年11月からの勝率は5点台にまで落ち、舟券に絡まないことが多くなり、「あの山崎智也がA1勝負駆け」とも言われていました。結局、級別審査の途中で引退されたのでA1のまま引退できたのは、カッコ悪い智也さんを見なくて済んだという、何かホッとしたような気持ちになりました。
私にとっての智也さんの魅力は、夢を見させてくれたところでした。
「夢」と表現しましたが、陳腐な言葉で言えば、まるでドラマを見ているよう。でもそれよりももっと、現実なのに現実じゃないような感覚になって、ワクワクしたり、キラキラ輝いて見えたり、ドキドキしたり、一種のアトラクションのようなものを感じ取っていました。それを言い表すには、夢が一番近いような気がしました。
2001年SGグランプリ優勝戦、投票集計のため発走が遅れていたことが影響したのかしないのかは分かりませんが、フライングに散り、2010年には横西奏恵さんと結婚、2012年妻に捧げるグランプリ優勝、2015年には直前の出産で頑張った妻に捧げるグランプリ2度目の優勝。どれも華々しくドラマチックでした。また、引退前最後のレース場は、私が今いる広島のボートレース宮島でしたし、2015年に宮島で開催されたSGグランドチャンピオンでは智也さんが優勝して、その優勝者表彰を目の前で見たことも、勝手ながら縁を感じています。
山崎智也さん
30年間のボートレーサー人生、お疲れさまでした。これからもファンの前に出るときは、カッコイイ姿を見せてください!そして、第二の人生を楽しんでください♪
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