濱野谷憲吾☆14年振りのSG優勝&70期ベテランSG連続優勝の快進撃!
2021年07月26日 公開

2021年7月25日、SGオーシャンカップ@芦屋で優勝したのは、濱野谷憲吾選手であった。
東都のエース
水上のファンタジスタ
言わずと知れた濱野谷選手の2つの異名は、人気実力ともに兼ね備えたスーパースター選手の証。今回のSGオーシャンカップまでに優勝したSGは4つあり、1998年に初優勝してから割と立て続けにSGを優勝している。しかし、前回のSG優勝から14年も経ってしまえば、もう伝説の選手になってしまうほどベテランになり、影を潜めてしまっている雰囲気があった。
1998年のSG初優勝のときは若干24歳、舞台はボートレースダービー@福岡。その2年前の1996年の同じくダービー@同じく福岡でSG初出場し、1日に2回転覆したというのはあまりにも有名な話。今でこそ、豪快でそれでいて切れ味の鋭いターンが魅力として定着している濱野谷選手だが、その頃は福岡のうねりを果敢に攻めて攻略しようという、発展途上中のターンだったのだ。それが2年後実を結び、福岡でSG初優勝を遂げた。
それだけ活躍していれば、もちろんボートレースグランプリも常連であった。特に、2002年から2010年の間に6回優出している。そのうち、2002年と2010年のグランプリ優勝戦は1号艇だった。もちろんインからのレースだったが、2002年はST.22、2010年はST.26と、Sで遅れ優勝を逃している。2000年のSGチャレンジカップ@住之江で逃げて優勝している濱野谷選手は、グランプリで逃げられなかった自分を振り返って、こう語った。
慣れているはずなんだけどね。
人生一回しかないんだから、(スタート)行けばよかったじゃんね。
ST.06のダントツトップスタートで5コースから捲ってグランプリを優勝している太田和美選手とニコニコボートレース部に出てトークしたとき濱野谷選手は、「和美さんみたいな鋼の心臓がほしい」と言っていた。太田選手は、「失敗は誰でもある。けどその数少ない失敗が大一番やったってだけ」と励ました。その大一番の失敗はファンに強烈に植え付けられ、濱野谷憲吾はインから逃げないというレッテルを多かれ少なかれ貼られることになってしまった。
スーパースターに対して大変失礼だけれども、私もそう思っていた時期があった。記事『インで弱い兵たち』でも書いたように、私だけでなく他の人も思っていたのだからしょうがない。実際、2015年ぐらいまではインコース1着率は55~65%前後、悪いときで40%台の年もあるくらい、お世辞にも良いとは言えない。しかし、2016年以降70%後半前後へと変化している。今の濱野谷選手は、インで決して弱くない。枠番別過去10走データを見てもらえると直近の様子は分かっていただけるだろう。
そこで今回SGオーシャンカップは、ST.15トップスタートで危なげない逃げを決めての優勝だった。その前に行われたSGグランドチャンピオンでは、濱野谷選手と同期の前本泰和選手が優勝した。マスターズ世代の40台後半のベテラン選手もまだまだ侮ってはいけない。
濱野谷選手は優勝後のインタビューで、こう力強く話した。
まだまだ若いものには負けていない。
スピードだけは自信を持っています。
目標は、獲り損ねたグランプリを獲ることです。
ちなみに優勝を決めた7月25日は、濱野谷選手がモデルになっている、漫画モンキーターンの主人公、波多野憲二の誕生日だった。さすがスーパースター。話題をただの優勝一つでは終わらせないところが持ってる男だ。グランプリを獲る憲ちゃんを必ず見せてほしい。
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