西川昌希が電撃引退するも、どうしても書きたかったことがある。【後編】
2019年11月28日 公開
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2019年9月30日付で引退届を提出し、ボートレーサーでなくなった西川昌希。引退を報じたのは、日刊スポーツ1社のみでした。
その記事をネットで見た私は、そこで同時に2つの感想を持ちました。それは、①やっぱりな②うそお、です。前編では①の理由とともに西川昌希のことを書きました。この後編では②についても同様に書いていこうと思います。
西川昌希はなぜ内のコースに拘ったのか。それは、「今のボートレースは外のコースからでは勝てないから」と本人が語っています。峰竜太選手が聞いたら大笑いするでしょう。そもそも内のコースに入ったからといってボートレースは勝てません。ほぼA2止まりの成績だったことがそれを証明しています。
強くなかった理由は単純明快で、若いときから内のレースばかりしているので、操縦の基本が身についていなかったことと、ターンスピードがなかったことです。2019年ヤングダービーで、14期も下の板橋侑我に競り負けています。このレースを見たときに、私はこれを記事に書こうと思ったのです。
内を取りに行く西川昌希は、「イン屋ではないです」と言いました。イン“屋”とは、インを取って稼げる人、舟券に貢献できる人のことを言います。イン屋の名選手に、北原友次さん、西島義則選手などがいます。こうした一流の選手は、新人のときに努力してターン技術を身に付けているので、特に西島さんは外コースでもレースができます。西川は自分のことをオールマイティだと言いたくて「イン屋ではない」と言ったのだと思いますが、残念ながらそれも当てはまらなかったのです。
松井繁選手に対しても前付けをしたことがある強気な西川昌希。だからこそ、この世界に執着し、のし上がっていく野心があるのかなと思っていました。しかし、このレースを続ける限り勝ち目はないが、レーススタイルを変えるつもりはない。結果、若いときからすべきではなかったレーススタイルと下手なプライドで、自分の可能性を潰したのです。
西川昌希に師匠はいませんでした。外のコースで練習しなければならない意義を教えてくれる人はいなかったのです。同じ三重支部に井口佳典選手がいますが、練習で見たときに、「同じ乗り物に乗っているのか」と思っただけで、それが井口選手が行ってきたの練習の賜物だとは思わなかったのです。
ボートレーサーは個人事業主ですから、師匠がいる必要はありません。しかし、選手やそれ以外の関係者が集まって一緒に仕事をするので、協力やコミュニケーションは非常に重要です。もしかしたら、一般的な会社員よりも大事かもしれないし、個人事業主だからこそ余計に意識して行動しなければならない世界だと思います。西川昌希は、練習で顔を合わせる先輩の言うことに耳を傾けませんでした。いや、西川的には聞いていたつもりなのかも知れません。でもそれは先輩からすると、何も吸収しない、言っても無駄な奴、に映ったのです。独りよがりのレースや行動をする西川に対しては、誰も本気でアドバイスしなくなりました。
辞めた理由について日刊スポーツには、腰痛の持病が挙げられていました。本気でボートレースで生きていこうと思ったら、手術して持病を治す選手はたくさんいます。そこまで本気ではなかったということでしょう。
西川昌希をネット検索すると、『八百長』というキーワードが出てきます。引退したのもそれが理由で辞めさせられたとか噂があります。もしかしたら真実かもしれませんが、上記に記したように、私はただレースが下手だっただけだと思います。レースが上手くて自分で稼ぐことが出来たのならば、そんなことしなくていいはずですから。
『ボートレースは人生の縮図だ』と考える私は、そこにボートレースの魅力を感じています。たった1つのレース展開から人生を学ぶこともあるし、誰かの人生を見たときに学ぶこともあります。西川昌希の人生、少なくともボートレース人生からは、人と真摯に向き合う姿勢と努力の大切さを学びました。それを持ち合わせない人は、どの世界でも干され、抹消されてしまうのです。
おわり
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2019年9月30日付で引退届を提出し、ボートレーサーでなくなった西川昌希。引退を報じたのは、日刊スポーツ1社のみでした。
その記事をネットで見た私は、そこで同時に2つの感想を持ちました。それは、①やっぱりな②うそお、です。前編では①の理由とともに西川昌希のことを書きました。この後編では②についても同様に書いていこうと思います。
②うそお西川昌希が電撃引退するも、どうしても書きたかったことがある。【前編】 - 競艇コラム - ジュテームとガッデムとボートレース
西川昌希はなぜ内のコースに拘ったのか。それは、「今のボートレースは外のコースからでは勝てないから」と本人が語っています。峰竜太選手が聞いたら大笑いするでしょう。そもそも内のコースに入ったからといってボートレースは勝てません。ほぼA2止まりの成績だったことがそれを証明しています。
強くなかった理由は単純明快で、若いときから内のレースばかりしているので、操縦の基本が身についていなかったことと、ターンスピードがなかったことです。2019年ヤングダービーで、14期も下の板橋侑我に競り負けています。このレースを見たときに、私はこれを記事に書こうと思ったのです。
内を取りに行く西川昌希は、「イン屋ではないです」と言いました。イン“屋”とは、インを取って稼げる人、舟券に貢献できる人のことを言います。イン屋の名選手に、北原友次さん、西島義則選手などがいます。こうした一流の選手は、新人のときに努力してターン技術を身に付けているので、特に西島さんは外コースでもレースができます。西川は自分のことをオールマイティだと言いたくて「イン屋ではない」と言ったのだと思いますが、残念ながらそれも当てはまらなかったのです。
松井繁選手に対しても前付けをしたことがある強気な西川昌希。だからこそ、この世界に執着し、のし上がっていく野心があるのかなと思っていました。しかし、このレースを続ける限り勝ち目はないが、レーススタイルを変えるつもりはない。結果、若いときからすべきではなかったレーススタイルと下手なプライドで、自分の可能性を潰したのです。
西川昌希に師匠はいませんでした。外のコースで練習しなければならない意義を教えてくれる人はいなかったのです。同じ三重支部に井口佳典選手がいますが、練習で見たときに、「同じ乗り物に乗っているのか」と思っただけで、それが井口選手が行ってきたの練習の賜物だとは思わなかったのです。
ボートレーサーは個人事業主ですから、師匠がいる必要はありません。しかし、選手やそれ以外の関係者が集まって一緒に仕事をするので、協力やコミュニケーションは非常に重要です。もしかしたら、一般的な会社員よりも大事かもしれないし、個人事業主だからこそ余計に意識して行動しなければならない世界だと思います。西川昌希は、練習で顔を合わせる先輩の言うことに耳を傾けませんでした。いや、西川的には聞いていたつもりなのかも知れません。でもそれは先輩からすると、何も吸収しない、言っても無駄な奴、に映ったのです。独りよがりのレースや行動をする西川に対しては、誰も本気でアドバイスしなくなりました。
辞めた理由について日刊スポーツには、腰痛の持病が挙げられていました。本気でボートレースで生きていこうと思ったら、手術して持病を治す選手はたくさんいます。そこまで本気ではなかったということでしょう。
西川昌希をネット検索すると、『八百長』というキーワードが出てきます。引退したのもそれが理由で辞めさせられたとか噂があります。もしかしたら真実かもしれませんが、上記に記したように、私はただレースが下手だっただけだと思います。レースが上手くて自分で稼ぐことが出来たのならば、そんなことしなくていいはずですから。
『ボートレースは人生の縮図だ』と考える私は、そこにボートレースの魅力を感じています。たった1つのレース展開から人生を学ぶこともあるし、誰かの人生を見たときに学ぶこともあります。西川昌希の人生、少なくともボートレース人生からは、人と真摯に向き合う姿勢と努力の大切さを学びました。それを持ち合わせない人は、どの世界でも干され、抹消されてしまうのです。
おわり
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