ジュテームとガッデムとボートレース

ペラ調整の日々に全速まくり差しのスパイスを加えた逸品。チムリー特製パンチの効いたボートレースの味をお楽しみください。

もう一度お会いしたかった喜多條忠さん

作詞家の喜多條忠さんが2021年11月22日に74歳で亡くなられました。

私が喜多條忠さんとお会いしたのはたった1回の偶然の出来事でした。

それはちょうど10年前、2011年児島で行われたSGグランドチャンピオンの最終日。児島駅から岡山方面に電車に乗ろうとしていた私は、喜多條さんを改札前でお見かけし、思いきって話しかけたのでした。あの日快く岡山までお話ししてくださった喜多條さんはとても優しい方で、ボートレースを愛し、嬉しそうにお話しされていた笑顔が印象に残っています。

喜多條 忠さんにお会いしました☆.。.:*・° - 競艇コラム

だからまた、ボートレース場でイベントなどでお会いできる機会があれば、ぜひお会いしたいと思っていたところだったので、寂しくなりました。

その時、ご一緒させていただいた写真は宝物です。
しばらくは、喜多條さんが作詞した、かぐや姫とキャンディーズの曲を聴いていようと思います。

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ファン待望のミッドナイトボートレースはこう実現した【2】最終回

ファン待望のミッドナイトボートレースはこう実現した【1】 - 競艇コラム

ミッドナイトボートレースを初開催へと漕ぎ着けたはいいが、肝心な売り上げはどうだったのか。その下関の節間(6日間)の売り上げ目標が40億円であったのに対して、結果58億円近くを売り上げた。下関のそのあとのナイター2節の売り上げはおよそ36億円(7日間開催)と31億円(6日間開催)だったので、ミッドナイトの記念すべき初開催は大成功だったと言える。

そんなに購買意欲がそそられる番組だったのか。

記念すべき初開催なだけに、スター選手を多数揃えて盛り上げるなんてことがあっても良さそうだったのだが、今回の開催はお世辞にもスター選手を揃えたとは言えない斡旋メンバーであった。強いて言えば、初日10R1号艇の西島義則、11R1号艇の市川哲也、12R2号艇の服部幸男、他には選手会長の上瀧和則、若手からは中田竜太と羽野直也ぐらいなもので、全体的な雰囲気は普段の一般戦と何ら変わりがなかった。

では、なぜミッドナイト初開催が普段のナイターよりもこんなに売り上げを伸ばすことができたのだろうか。

ボートレースファンの中で、今まで土日しかボートレースを楽しめなかった人でも、ミッドナイトの時間帯なら平日でも投票できるという生活スタイルの人や、普段から平日やナイターで投票している人も、初めてのミッドナイトということで注目し、「とりあえず見てみたら買いたくなって買ってみた」という人がたくさんいたことだろう。そういう人たちが初日の売り上げに貢献したのは確かだろうが、ボートレース界にそれまでなかった21時以降締切のレース10R、11R、12Rの3レースだけに注目しても、初日の売り上げ約8億円の半分の4億円あまりを売り上げたというのだから、ミッドナイト時間帯効果には驚きだ。

結局、初日12Rドリーム戦の1号艇は誰だったの?

それは地元山口の谷村一哉だった。ここで、谷村には非常に失礼だが、「え、なんで?もっと凄い大スター選手が山口にはいるのに?」と思った人はきっと少なくないと思う。実はここに初日の売り上げを大きく上げるヒントが隠されていた。

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ファン待望のミッドナイトボートレースはこう実現した【1】

以前私は4回シリーズで、『無観客開催はミッドナイト“競艇”を実現する材料になるのか』というコラムを書いた。投稿してからちょうど1年半後の2021年10月20日、ついにボートレース界でもミッドナイトが初開催となった。

無観客開催はミッドナイト“競艇”を実現する材料になるのか【1】 - 競艇コラム

コロナ禍になる前からボートレース業界もミッドナイト開催を希望するファンの声があるだけでなく、具体的に開催実現に向けて動いていたに違いない。というのも、2010年度まで落ち込んでいたボートレース人気も、その後は回復したばかりか、むしろ人気が高まっている状況だったことと、すでにミッドナイトを開催している競輪やオートレースの売り上げが堅調であり、且つボートレースは競輪やオートレースよりも売り上げが高いこと。これらを踏まえると、ミッドナイトを開催する日は遠くはなかったはずである。

コロナ禍の世の中になった“お陰”で急速に発展できた業界やサービスは多い。このミッドナイトボートレースも、コロナ禍の無観客開催がミッドナイト実現に向けての判断材料となり、その成果がそれを実現する後押しになったことは確かであろう。

ミッドナイトボートレースを開催すると発表されてから、競輪やオートレースのように通常開催と異なるレース形態になるのか、時間は何時になるのかなど、具体的にどのように行われるのかに注目が集まっていた。初開催の2021年10月20日~25日@下関のミッドナイトボートレースは次のように開催された。

競輪やオートレースと同じなのは無観客開催ということだけであり、競輪やオートレースが通常開催と異なるレース数、夜間のみの時間帯で行われるのに対し、ボートレースは通常開催と変わらないレース形態で行われた。つまり、6艇立て、1日のレース数は12R、準優3R制の6日間開催だったので、選手の斡旋人数も通常と変わりはなかった。時間帯は、1Rスタート展示開始が17:00、最終12R締切が21:54だったので、夕方から夜遅くにかけての開催だった。ただ、ナイターとの違いとしては、準優勝戦が10R、11R、12Rで行われた。

初開催は下関だったが、

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岡田憲行のレースは荒れる!第4弾

【第3弾はこちら】⇒岡田憲行のレースは荒れる!第3弾

みなさ〜〜ん!取ってますか〜〜〜!!!

私のブログを読んでくださってる人なら、もちろん!ドンピシャで取ってますよね〜!?岡田憲行の荒れレース!

さて、お久しぶりのこの企画第4弾は、優勝戦2つをご紹介します。今まで知らなかった人も参考にして、ぜひ穴舟券を狙ってみてください!ただし、岡田憲行が出走する全てのレースが荒れるわけではありません。岡田が来ても来なくても、ド本命決着の3連単三桁配当も珍しくありませんので、そこは要注意です。

今日ご紹介する1つ目のレースは、2021年7月13日KBCラジオ杯モーヴィ芦屋オープン記念@芦屋です。

優勝戦12R

1号艇 原田  篤志
2号艇 辻   栄蔵
3号艇 小池  哲也
4号艇 岡田  憲行
5号艇 今村  暢孝
6号艇 船岡 洋一郎

むむ、5号艇に、ああ気付いてしまいました?今村暢孝さんがいますけど、3号艇の小池はA2ですから、並びは125か152か。荒れ要素、ありそうですね♪

結果、展示本番ともに152/346の進入でしたが、本番2号艇がS遅れて、3号艇と4号艇が捲り競りになったところを大外から6号艇が捲り差しで突き抜けました。3連単6-1-5で89,280円の超ビッグ配当になりました。

次のレース、知りたくなってきましたか?今日ご紹介する2つ目のレースは、2021年9月3日第55回東京中日スポーツ杯@桐生です。

優勝戦12R

1号艇 岡田  憲行
2号艇 角谷  健吾
3号艇 鈴木  勝博
4号艇 大豆生田 蒼
5号艇 岡   祐臣
6号艇 桐本  康臣

おお!ここは4号艇に女の子がいますねぇ。しかも彼女だけB1で、他みんなA1ですから実力差があります。だからと言って、コースを取りに行く人がいないので、進入は展示本番ともにゆったりとした枠なりでした。

それなのになぜ荒れたのか?

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濱野谷憲吾☆14年振りのSG優勝&70期ベテランSG連続優勝の快進撃!

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2021年7月25日、SGオーシャンカップ@芦屋で優勝したのは、濱野谷憲吾選手であった。

東都のエース
水上のファンタジスタ

言わずと知れた濱野谷選手の2つの異名は、人気実力ともに兼ね備えたスーパースター選手の証。今回のSGオーシャンカップまでに優勝したSGは4つあり、1998年に初優勝してから割と立て続けにSGを優勝している。しかし、前回のSG優勝から14年も経ってしまえば、もう伝説の選手になってしまうほどベテランになり、影を潜めてしまっている雰囲気があった。

1998年のSG初優勝のときは若干24歳、舞台はボートレースダービー@福岡。その2年前の1996年の同じくダービー@同じく福岡でSG初出場し、1日に2回転覆したというのはあまりにも有名な話。今でこそ、豪快でそれでいて切れ味の鋭いターンが魅力として定着している濱野谷選手だが、その頃は福岡のうねりを果敢に攻めて攻略しようという、発展途上中のターンだったのだ。それが2年後実を結び、福岡でSG初優勝を遂げた。

それだけ活躍していれば、もちろんボートレースグランプリも常連であった。特に、2002年から2010年の間に6回優出している。そのうち、2002年と2010年のグランプリ優勝戦は1号艇だった。もちろんインからのレースだったが、2002年はST.22、2010年はST.26と、Sで遅れ優勝を逃している。2000年のSGチャレンジカップ@住之江で逃げて優勝している濱野谷選手は、グランプリで逃げられなかった自分を振り返って、こう語った。

慣れているはずなんだけどね。
人生一回しかないんだから、(スタート)行けばよかったじゃんね。

ST.06のダントツトップスタートで5コースから捲ってグランプリを優勝している太田和美選手とニコニコボートレース部に出てトークしたとき濱野谷選手は、「和美さんみたいな鋼の心臓がほしい」と言っていた。太田選手は、「失敗は誰でもある。けどその数少ない失敗が大一番やったってだけ」と励ました。その大一番の失敗はファンに強烈に植え付けられ、濱野谷憲吾はインから逃げないというレッテルを多かれ少なかれ貼られることになってしまった。

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