西川昌希が電撃引退するも、どうしても書きたかったことがある。【前編】

2019年グランプリ出場選手も決定し、いよいよ年末だという感覚が襲ってきている今日この頃。そろそろ今年の出来事を振り返ったり、まとめに入ろうと思いまして、この記事です。

辞めた人のことをとやかく言うのは、死んだ人の悪口を言うのと同じようであまりいい気はしませんが、辞める直前に三国で開催されたPG1ヤングダービーの開催中、西川昌希についての記事を書こうと決めていたので、遅くなりましたが書きたいと思います。

2019年9月30日付で引退届を提出し、ボートレーサーでなくなった西川昌希。引退を報じたのは、日刊スポーツ1社のみでした。

その記事をネットで見た私は、そこで同時に2つの感想を持ちました。それは、①やっぱりな②うそお、です。真逆の感想ですね。その理由とともに西川昌希のことを書いていこうと思います。

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①やっぱりな
西川昌希は、幼少の頃に両親が離婚しており、母親に育てられています。少なくとも小学生の頃はすでに頭を金髪に染めており、そんな家庭で育てられました。

母親の教育は、「やるからには1番を取りなさい」という主義で、小学生の頃に生徒会長になったのも、小学生で1番になるには生徒会長になることだと思ったからだそうです。金髪の生徒会長は、みんながやりたがらないポジションに就いただけということに気付かず、1番になった気でいました。

1番を目指すための手段を一歩間違えると、得てして他人の気持ちを量ることは決してなく、自己中心的な行動を取りがちです。

西川昌希はこの典型パターンでしたから、人と人が命を懸けてぶつかり合い、危険を伴う勝負の現場にいられては厄介なのです。公正かつ安全な競技運営に支障をきたす人物は、その世界で生きていくことは出来なかったのでしょう。

【後編】へ続く

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チムリー
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  • 2019年9月30日付で引退届を提出し、ボートレーサーでなくなった西川昌希。引退を報じたのは、日刊スポーツ1社のみでした。 その記事をネットで見た私は、そこで同時に2つの感想を持ちました。それは、①やっぱりな②うそお、です。前編では①の理由とともに西川昌希のことを書きました。この後編では②についても同様に書いていこうと思います。 西川昌希が電撃引退するも、どうしても書きたかったことがある...

    2019.11.28 (Thu) 15:49 | ジュテームとガッデムとボートレース